社名の由来
ロシアには「燃え上がる火焔も一点の火花から」という諺があります。
また、中国には「星火燎原(きらめく星ほどの小さな炎が、野原を焼く)」という言葉があります。小さな力が、徐々に力を増し、大きな力になるということです。
はじめは小さくても、やがては大きく育ちたいという願いを込めてロシア語で「火花」を
表す「イスクラ/Iskra」という社名をつけました。
創設期のイスクラ産業
1960年当時、日本ではポリオ(小児マヒ)が全国的に流行し、痛ましい犠牲者が続出していました。全国各地では、子供の命を守らなければいけないという必死の思いで、ポリオワクチン投与を政府に要請する運動が、連日、全国の母親たちを中心に巻き起こっていました。ポリオに対する当時の防疫体制はまだ不十分で、日本でも死菌化されたソークワクチンの使用が始まったばかりでした。このソークワクチンは、期間をあけて3回接種しなければならず、また絶対数も不足しており、ポリオの流行に間に合わないという事態が発生していました。
イスクラ産業は、「ソ連製の安全で効果が確認されている弱毒性生ワクチンを輸入することが、この事態に役立つことができる」とソ連政府に働きかけました。当時は社会主義国との貿易はわずかであり、この生ワクチンの輸入など考えられない時代でした。このような状況下で、イスクラ産業は幸いにも日本で初めて生ワクチンを輸入することが出来ました。もちろんこれは、子供の命を守るという全国的な母親運動の高まりがあったからこそ、成しえたものです。
この生ワクチンの投与がきっかけで、猛威を振るっていたポリオの脅威も下火になりました。このときの経験がイスクラ産業の企業としてのあり方を決定付けました。
現在のイスクラ産業
現在イスクラ産業は、数千年の歴史を持つ中医学理論に基づき、高品質の各種中成薬(漢方製剤・生薬製剤)を、パンダマークでおなじみの日本中医薬研究会会員店(約1000店)の薬局・薬店を通じ、全国で販売しています。中医学の知恵を皆様の健康の為に役立てていただきたい。イスクラ産業と日本中医薬研究会の共通の願いです。
イスクラのあゆみ
1960 |
3月 イスクラ産業株式会社を設立。 |
1961 |
3月 全ソ医薬品輸出入公団との間に、ポリオ後遺症治療薬ガランタミンの輸入契約を締結。
7月 全ソ医薬品輸出入公団よりポリオ生ワクチンを輸入。 |
1966 |
9月 中成薬第一号となる水虫薬「華陀膏」承認取得。 |
1967 |
5月 日本橋にイスクラ薬局を開設。
7月 モスクワ駐在事務所をパクロンナヤ街に設立。 |
1973 |
10月 制ガン剤フトラフールの輸入販売許可を取得、全ソ医薬品輸出入公団より輸入、国内販売を開始。 |
1979 |
6月 風邪薬「天津感冒片」の輸入開始。
11月 新社屋(本社ビル)完成。 |
1985 |
12月 イスクラ中国漢方センター開設。 |
1987 |
1月 日本中医薬研究会発足。 |
1991 |
3月 「冠元顆粒」発売開始。 |
1992 |
6月 日本中医薬研究会会員1000店達成。 |
2004 |
1月 モスクワ駐在事務所をモスクワのトゥベルスカヤに移転。 |
2009 |
6月 成都に温江工場設立。 |