イスクラ産業について・
会社のあゆみ About Iskra Industry & Company History

イスクラ産業について

社名の由来

ロシアに「燃え上がる火焔も一点の火花から」という諺があります。また、中国には「星火燎原(きらめく星ほどの小さな炎が、野原を焼く)」という言葉があります。小さな力が徐々に力を増し、大きな力になるということです。
はじめは小さくても、やがては大きく育ちたいという願いを込めてロシア語で「火花」を 表す「イスクラ/Iskra」という社名をつけました。

この社名の由来は、赤い小さな点が広がるように大きな円となっているシンボルマークにも表現されています。

ИСКРА イスクラ(花火)イスクラ産業株式会社

イスクラの理念・友好の原則

イスクラの理念
  • 1 川をきれいにして、魚を棲まわせる。
  • 2 腕を磨いて魚を釣る。
  • 3 より腕を磨いて、より大きな魚を釣る。
  • 4 釣った魚は一人占めにしない。
友好の原則
  • 1 自分のお金で
  • 2 自分の時間を割いて
  • 3 代償を求めず
  • 4 小さく閉じこもらず
  • 5 長期的、継続的に

それらを真心という芯棒を貫いて活動する

1960年のイスクラ産業設立当時、日本では「小児麻痺(ポリオ)」が流行し、ポリオワクチン投与を政府に要請する運動が、全国で連日巻き起こっていました。私たちはソ連製の生ワクチンに着目しソ連政府に働きかけましたが、当時は社会主義国との貿易はわずかで、生ワクチンの輸入など考えられない時代でした。しかし、幸いにも全国の運動によってイスクラ産業は日本で初めての生ワクチン輸入の一助となることができました。イスクラの理念・友好の原則は、この経験から得た私たちの信念です。

ソ連貿易を中心に物を販売する事業からスタートしましたが、設立から30年後ソ連崩壊をきっかけに、中成薬事業を中心とした物を作って販売する事業を拡大してきました。そうして今、私たちは設立から60年を経た「未来に向けて」の時代を迎えています。貿易事業と中医学に基づくヘルスケア事業を柱にさらなる事業拡大に取り組んでいます。

一つ目の30年 日本初のポリオ生ワクチン輸入
1960年〜1989年

1960年3月、初代社長の石川士郎は、貿易会社として「イスクラ産業株式会社」を設立。友好を信念に机一つから始まった小さな会社でした。
設立当時、日本では全国各地で小児麻痺(ポリオ)が流行していました。そこで石川士郎は、予防の生ワクチンと後遺症治療の薬がソ連にあることを知ります。社会主義国のソ連との貿易は当時考えられないものでしたが、ポリオ根絶に使命感を感じて東奔西走し、日本で初めてのポリオ生ワクチン輸入に尽力し、ポリオ根絶の一助となることができました。

生ワクチンの輸入をきっかけに、全く無名だった小さな会社から、ソ連の医薬品に強い貿易会社へと成長。「誰もやらないことを自分たちでやる」。このときの経験がイスクラ産業の企業としてのあり方を決定付けました。

ワクチン輸入契約 ワクチン輸入契約(写真左が石川士郎)
1960年

3月イスクラ産業株式会社設立

1961年

3月全ソ医薬品輸出入公団との間で小児麻痺後遺症治療薬ガランタミンの輸入契約締結

7月イスクラ300万人分、日商700万人分生ワクチン輸入契約

特に医薬品の貿易で成功したイスクラ産業は、中国の医薬品にも着目し始めました。1966年、ロウバイと呼ばれる花の蕾から抽出した油を配合した水虫薬「華陀膏」(現在の「イスクラ華陀膏Y」)の輸入を開始し、これをきっかけに、翌年から対中貿易の生薬の輸入に力を注ぎます。しかし、慣れない中国の生薬製剤を取り扱う薬局は、わずかでした。そこで、自分たちで中国の薬(中成薬)を売るため、中国医学理論を取り入れた専門薬局『イスクラ薬局』を開設。次第に中医学を日本に根付かせたいと願う専門家が集まり、そうした熱意ある薬局・薬店とイスクラ産業が手を組んで、1987年、日本初の中医学研究・販売を行う組織である『日本中医薬研究会』が誕生しました。
開設当時のイスクラ薬局 開設当時のイスクラ薬局
日本中医薬研究会発足 1987年 日本中医薬研究会が発足
1966年

4月中成薬一号となる水虫薬「華陀膏」の輸入開始

1967年

5月東京日本橋にイスクラ薬局を開設

1979年

11月東京日本橋に自社ビル(現在の本社ビル)完成

1985年

12月千葉県市川市にイスクラ中国漢方センターを開設

1987年

1月日本中医薬研究会が発足

二つ目の30年 製薬事業の拡大
1990年〜2019年

中成薬事業に一層力を注ぎ、血液の巡りを改善する「冠元顆粒」(現在の「イスクラ冠元顆粒」)を開発・発売します。
後にイスクラ産業を代表する大ヒット商品です。発売した年と同じ1991年のソ連崩壊は、創業以来、ソ連と共に歩んできたイスクラ産業にとって大きな衝撃となりました。ソ連崩壊後も、ロシアを相手国として現地の医薬品販売を開始するなど、貿易を続けてきましたが、この時期に中成薬事業を拡大したことによって、現在も日本における中医学・中成薬の分野をリードし続けています。
イスクラ冠元顆粒 現在の「イスクラ冠元顆粒」
1991年

3月医薬品「冠元顆粒」を発売

1994年

3月千葉県市川市にイスクラ中国漢方商品センターを移転拡充

貿易事業・中成薬事業ともに事業を拡大。また、国やその文化を日本に伝えるための情報誌「チャイナビュー」、「ユーラシアビュー(現在は休刊中)」を発行するなど、中国・ロシアとの相互理解を深める活動にも力を注いできました。
2009年には、四川省成都市に自社工場「四川華星薬業有限公司」を設立し、初の自社工場であり、中成薬生産加工の基地が完成しました。2013年に、新しい事業として、中医学を動物にも応用した健康食品を開発・製造する「ペット事業」をスタートしました。
四川華星薬業有限公司 四川華星薬業有限公司
ペットヘルスケアサプリメント「QUANPOW」 ペットヘルスケアサプリメント「QUANPOW
2000年

10月千葉県市川市にイスクラ中国漢方センターを新築移転

2009年

6月中国成都に四川華星薬業有限公司(温江工場)を設立(翌年に稼働)

2012年

7月ペット事業部創設

三つ目の30年 未来に向けて
2020年〜

活力ある100年企業を目指して

2020イスクラ産業 創業60周年

60th
創業60周年を迎えた2020年は、世界中に新型コロナウイルス感染症が蔓延し、社会環境が一変する過渡期でした。この節目が、世の中に役立ち人々に必要とされる企業としての姿勢を見つめ直すきっかけと考え、社内に理念・ビジョンの浸透を図りました。社員への感謝を伝え、一丸となってより強い会社にするための一年となりました。

これからのイスクラ産業

  • 1.持続可能な事業開発

    貿易事業・中医学ヘルスケア事業の強化と、それらを柱とする新事業の展開

  • 2.人材育成

    組織・個人の成長に投資し、活力ある組織へ
    国籍、ジェンダーを超え、個性や専門性が活かされる組織作り

  • 3.働き方改革

    ライフワークバランス、柔軟な働き方を取り入れ、長く安心して働ける風土作り

  • 4.SDGsへの取り組み

    SDGsの17のゴールのうち、5つのゴールについて重点的に取り組んでいます。今後もSDGsの達成に向け貢献していきます。

  • すべての人がセルフメディケーションで病気を未然に防ぐことができるよう、中医学に基づく製品の開発・製造だけでなく、養生理論を広く伝える活動を行っています。

  • 講演会やさまざまなメディアを通じて、日々の健康維持に役立つ情報を発信し続けていきます。

  • 全ての社員が活躍できる職場環境の整備と、生産性向上による雇用の長期安定に努めています。

  • 環境に配慮した製品パッケージなどの改善に取り組んでいます。

  • 創業当時より、ロシア・中国をはじめとする取引相手国・企業とのパートナーシップを大切にしてきました。今後もこれらのゴールの達成に向けて、国を越えた友好の構築に努めていきます。

私たちの夢

  • 中医学ヘルスケア部門中成薬事業

    中医学の「未病先防」と「弁証論治」の理論及び良質な中成薬と健康食品を普及させ、より多くの人々がセルフメディケーションの一環として役立て、健康で幸せな生活を送り続けられるように貢献します。

  • 中医学ヘルスケア部門ペット事業

    中医学による健康づくりで、人とペットに幸せ(笑顔・喜び・豊かさ)を広げます。そして、動物・人・環境などの関連する分野を一体化し、食の安全・生物多様性・持続可能な社会に寄与します。

  • 貿易部門CIS諸国貿易事業
    中国貿易事業

    CIS諸国及び中国の企業との取引や交流を通じて貿易部門各事業のノウハウが蓄積され、より主体的なビジネスを築き、専門性に特化した新事業を誕生させます。また、他の国々とのビジネスの可能性を探り、更なるグローバル企業を目指します。

  • 貿易部門国内販売事業

    革新的な商品を通して人々の幸福に貢献します。バクテリオファージ事業では微生物の調和という他に類を見ない持続可能な特徴を活かし、肌悩みをはじめとする人々の問題解決に積極的に取り組みます。